※EDのネタバレはありませんが、本編に関わる大きなネタバレは存在します。出来る限りクリア後に見られることをお勧めします。
先ほどまで降り続いていた雨はぽつぽつと屋根を叩く程度に落ち着いたようだった。
寝静まった資料館の中、規則正しい鐘の音色が夜をちいさく震わせた。
午後11時を告げる時計の鐘の音はかすかな雨音にゆっくりと飲み込まれて、また音のない夜が部屋を包む。不鮮明な、ランプシェードの熱を抱いた柔らかい灯火。くらりくらりと不安定に揺れるそれはベッドの上、きつく目を瞑った須賀の姿を映した。
息を吸って、ゆっくりと吐く。小さく漏れた微かな吐息は静かな夜に落ちて、そして空気を揺らした。回らない思考回路の中、考える。ああ彼女は大丈夫だろうか。止まない不規則な雨に覚えた不安は、いつだって青年を苛ませる。
大丈夫と自分に言い聞かせながら震えてしまう身体を抱き締めた。大丈夫、大丈夫。彼女も、自分もまだここにいる。そう声にならない声で幾度も幾度も繰り返しては震える手で自身をきつく抱いた。
降りやまぬ雨は静かに窓枠を打ちつづける。時折零れる月明かりはそれを小さく煌めかせるのだ。
陽の光が瞬く琥珀の瞳。きっと世界の何よりもきれいなもの。たゆむ栗色の髪から香るのは花の甘い香りだろうか。ふわりと笑むその姿にほんの少しの憧れに似た感情を抱いたのはいつだったのだろう。淡い色合いの、柔い感情。どこかくすぐったい、不思議な感情。
柔らかく呼ばれる自らの名前。嘲笑も怯えもない、ただただ優しい声。
そんな彼女が笑っていられるのならば、それで良いのだ。
あの頃の幸せを壊したのは自分のせい。彼女の全てを奪ったのも自分のせいなのだから。
時折痛む傷には鍵を掛けて隠してしまえばいい。そうすれば誰も気付きやしないのだから。
彼女を守れやしない花かんむりなど手放してしまえばいい。左手にあるべきなのは彼女を守れるもの。例えそれが誰かを傷付けるものだとしても彼女を守れるものならば。
たたかいごっこが嫌いな青年はつっと目を細める。刃の切っ先によくにた、澄んだ青い双眸はゆらりと揺らいで、そして自らの両手を捉えた。
あの頃とは異なる、武骨で切り傷の多い、手。
それは幾度も子どもの霊を傷つけた手。恨みと呪いの宿る汚れてしまった手。
また小さく震えだす己の身体を須賀は笑った。ああ、いつまでたったって自分は弱いままなのだ、と。
時折怯えてしまうのだ、小雨の降り注ぐこんな夜には。
この手で彼らを傷付けてしまったことに。彼らを殺してしまったことに。
あの子どもたちはとても自分とよく似ている。それは身を呈してまでも誰かを守ろうとする目。誰かに愛されたいと願う目。
その目に滲む明らかな嫌悪の感情が自分へと向けられているという事実は須賀の決意を揺さぶるには十分なものだったのだ。
きゅっと唇を噛み締めて、ひとつ。須賀は震える唇で言葉を綴った。
「 」
穏やかな目をした彼女の名前を呼ぶ。自分が全てを奪ってしまった彼女の名前を。愛しさを込めて、壊れ物を扱うかのように。
空気を震わすことのないその声は細やかな雨へと融けて、零れかけた嗚咽すらも飲み込む。
閉じられた唇がふと息をついて、ふたつ。雨がもたらす不安はひとときだけ古傷とともにしまいこまれる。浅い呼吸音とともに安堵が零れて、刹那。須賀の抱く柔い感情に宿るのは鮮やかな色彩。
夜の帳を灯すランプシェードのちいさな灯り。硝子ごしに揺れたそれは顔を歪めた青年を映し出す。
口元を緩めて、ぎこちなく笑う。そうした後に須賀はゆるりと目を瞑る。不鮮明な灯りが揺れるさまは瞼の裏に焼き付いたようで離れはしない。
須賀はまだ知らない。幼い頃に抱いた、否抱き続けている憧憬に似た感情の名前を。
化石によく似た記憶の底、淡い色のそれはいつしか鮮烈な色を宿していたことにさえ目を瞑り。須賀は小さく笑む。そして、ただただ醜い感情の結末である青い刃を子ども達へ凪ぎ払うのだ。
大丈夫、ともう一度囁く青年は緩慢な仕草で首を振る。ゆるり、ゆるり。
須賀は約束を守りつづける。自らに良く似た子ども達に嫌悪の感情を抱かれたとしても。たとえ自らが彼らの手に掛かって犠牲となることさえにも。
それは自らの罪の所作なのか、それとも鮮烈な色を宿した感情の所作なのかすら分からないまま。須賀は首を振る。
雨はまだ止まない。先程に比べて増す雨音に、回らない思考回路はスイッチを止める。
ああ、明日もまた雨なのだろう。憂鬱な、怯えを連れる雨が明日もきっと夜の戸を叩く。それでも、泣き虫な心優しき青年は呟くのだ。
誰の耳にも届くはずのない、その声で幼馴染みの名を愛しげに呼んだその後に。
守りたかったものは、この手のなかに。
大丈夫、今度こそ。今度こそは守って見せるから。
(20140212/守りたかったものはこの手のなか/須賀シオ)
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